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震災から五年がたちました。
そして私は先日無事に春休みを迎えました。

一昨日までの一週間ジャカルタへ行っていました。
暑くて暑くて、よい国でした。美味しいものばかり。
正直に言うと食事以外作業に追われて観光をしなかったので、
食事と気候以外の感想がありません笑

この1週間のことをまとめて、トルコへ行ったら、
私の学生団体での役目は終わります。
部活やサークルでいうところの「引退」でしょうか。実り多き2年間でした。



大学に入学してからは、被災者は身近にいて、親や友人を亡くした子がいます。
いなくなってしまった人を忘れられない気持ちは、よくわかります。
前に進む勇気を、持てますように。


最近william wordsworthの詩が英語と日本語両方載った本を見つけて、
詩の翻訳が面白くて読んでいたら、ちょうど今日のエントリーに良い言葉がありました。

日本語で調べたらなにやらアメリカのドラマのセリフに引用されていたらしく
それの感想がたくさんでてきてしまったのですが笑、
おかげで本とは違う訳が見れて、
私にはそっちの方が良い訳に見えたので、日本語はそっちを書こうかと。

ドラマの翻訳ってだれがやってるんでしょう(・・)?



原題はsplendor in the grass。
日本語では「草花の栄光」と訳すらしいですね。
なんか格式が上がっているように感じるのは私だけでしょうか笑。

草花の栄光のはじまりはとても暗いセリフです。
昔は輝いていた、夢があり、希望があった。
しかしそれらはすべて終わり真っ暗闇になった。
そんな文が続きます。

しかし最後に近づくにつれ、詩は希望を見出します。
死を透かした信仰や、積み重ねた歳月により、二度と戻らない光を
受け入れ、乗り越えられるとワーズワースは言います。

かつてはそこにあったもの、人、幸せな記憶。
それがなくなっても、涙が枯れても、
その先があるのだと。


下の文は私が一番好きなところです。

では。







What though the radiance which was once so bright

かつて輝かしかった光を、

Be now for ever taken from my sight,

今や永遠に失くしてしまったとしても、

Though nothing can bring back the hour

あの草原の輝きや、草花の栄光が

Of splendor in the grass, of glory in the flower;

もはや二度と還らなくても、

We will grieve not, rather find

嘆くのはよそう


rather find Strength in

残されたものの中に、

what remains behind

力を見出すのだ






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テンプレート変えました。



学年末テストに追われつつ、今日はお休みでした。
大学入試の季節です(・▽・)

1年を振り返ると、なかなかに激動な年でした。
なによりも、春休みのカイ、夏休みの途上国、正月の大伯父が
過去を清算し、自分の行き先の決める良いものだったなと。

そして同時に5月の悲しい別れ。


10代の私は失ってばかりの人生でした。
すべて人は別れる時が来て、いずれ二度と会えなくなってしまう。

それはきっと生きている限り、曲げられない事実なのでしょう。
でも、生きていれば、また会える。

9年ぶりに弟にも、
こう在りたいと憧れる人にも、会えました。
そうやって繰り返し繰り返し別れて、離れて、また出会って。


耐えることができるかを試すゲームの様です笑




大事な人を増やしたくなくなってしまったことは悲しいけれど、
しばらくはこのままでよいのかなと思います。
既に手にある人を大事に守れれば、十分かと。







このまま学年が終わると春休みです。
春休みが終わったら大学3年生です。
早いものです。

春休みに入ったらジャカルタと、トルコへいきます。旅行では無く、
1年生の時から入っている学生団体のフィールドワークとシンポジウムのためです。
私の団体生活と数々のレポートの集大成になる予定です。
わくわくです。

そして進路のこと。専攻を絞る時期が来ます。
夏の途上国、そしてこの二年間の団体やプリンストン、大学の授業を経て、
入学時から考えると私の未来はかなり変わりました。

中学時代はぼんやりと言語に、
高校時代はあっさりと国際関係論に、
大学入学してしばらくは開発学に進むものだと思っていました。




心理学と社会学を専攻に学ぶことになりそうです。
普通の心理学とはちょこっとちがうのですが。
プリンストンの教授と話し合って、自分でよく考えて、決めました。

私は学者になる予定は皆無なのですが、院にも行けたら行きたいなと。
周りの院熱がずっと不可解だったのですが笑、
最近やっと思うようになりました(・▽・)


まあ国籍選択次第で奨学金事情も変わってくるので、
日本の院にいけるかは場合によってはすごい難しそうなのですが汗

心理学も社会学も、日本では「文系」なのにアメリカでは「理系」とされます。
経済学もそうですが。

私はずっと自分がバリバリの文系人間だったのでちょっと驚きました。
それをプリンストンの教授に行ったら不思議がってました。

「私は君はずっとscienceな頭だと思っているよ。こと勉学においては。」







10代の自分は、きっと人よりたくさんの感情を見たと思います。

親の死、友の死、年下の死、
民族が流す涙も、内戦が流す涙も、難民が流す涙も、目の前で見て。

涙を流しただけ、人は優しくなれるとよく言いますが、
私は優しくなるというより、ただ受け入れ方を学んでいるだけな気がします。
というかむしろどんどん感情を表に出すのが嫌いになって言っているような・・・。
自己中心的なのかもしれません笑


人が泣いている時、肩を抱いて慰めるのは、もう飽きました。
自分の涙も、人の涙も、見るとほんのり胸が焦げる感じがします。

学問の果てに、何かの涙に関わる職につけたらなと思います




大学生活の半分が、終わります。



お久しぶりです。
今年もよろしくお願いいたします。

このブログをまだ見てくれている方はいるのでしょうか笑

最近手が止まり過ぎな私のブログですが、
書くことがないのではなく、書くことが多すぎて諦めている節があります。
これからもゆっくりですが、書いていこうと思っているので、よろしくお願いします。



年末は兄と過ごしました。
もっとも東京では兄は兄で友人と会っていたので、主に旅行中ですが。

年末から年越しにかけて1週間、
私は兄とともに祖母の生まれたところへいってきました。

少しややこしい、私にいた家族の話をします。

祖母が渡米し、母が生まれたのはシカゴ。祖父はアメリカ人。
けれどその後なぜか7年ほど、3人は日本に渡り、祖母の故郷で暮らします。
それからまた渡米し、祖母も祖父も、そして母も、今はシカゴの地に眠っています。

祖父母は兄が生まれた時には鬼籍にいて、
父の両親も亡くなっていたため、私たちはホームへ行きました。

兄は大学時代、祖母の記録を頼りに、日本で血縁を探していました。
私には内緒にされていたのですが。

祖母の両親は戦争と病気で亡くなっていたのですが、
祖母の兄、私から大伯父に当たる人が生きていました。

つまり、私には血の繋がった人が、まだいたのです。





場所は三重県伊賀上野の郊外。
兄に連れられて訪れた場所は静かで良い場所でした。
市街地の駅に着いた時は忍者のストラップがいっぱい売ってて面白かったです

伊賀忍者って私は初めて聞いたのですが、
東京に帰って、道場の人に言ったらみんな知ってました。




バスの停車駅まで迎えに来てくれていたのはその人本人でした。


「初めまして。君が、Lilyさん?
お兄さんとは4年前から何度かあっているんだ。
私は君の、おばあさんの兄です。」

目の前にあれだけ憧れた親戚がいるというのはとても不思議な感覚でした。
全然知らない人なのに、そわそわするというか。



案内された家は、それはもう古い家でした。
草木ぼうぼう蔦もにょきにょき、塀と門は立派なのに庭がすさまじい。

けれど家の中はとても片付いていて、
家具も古いけれど磨かれて、艶々していました。

着いたらまずおばさんがいて、誰だろうと思ったら、お手伝いさんとのこと。
え、日本におてつだいさんて存在するの(゜゜)

お茶が出てきて、お茶受けがでてきて、部屋は暖かくって、いたれりつくせり。
ちょっと怖かったです笑



自己紹介をして、写真を見さしてもらいました。
そこには着物姿の曾祖父、大伯父、大伯父の奥さん、祖母、そして背が高く
がっつり外国人の祖父、笑顔の幼い母が写っていました。

撮影された場所は、その時まさしく私が立っていた居間で。

なんだか、なんともいえない気持ちになりました。
幸せなような、もうここに写っている人は大伯父以外いなくて悲しいような。
でも、見れて良かったと心から思いました。



大伯父さんは引退した医師でした。
息子さんと、奥さんに事故で先立たれ、一人暮らしをしているとのこと。

年末は彼の家で、ずっと過ごしました。
お手伝いさんは週3日の通いでした。住み込みだったらもっと恐ろしかった笑

伊賀の町を彼の買っている柴犬を連れて散策したり、
料理を作ったり、大学の勉強のことを話したり。
そしてなにより、祖父母と幼かった母のことを。



「君の曾爺さんも私も、そして私の息子も、医師だったんだよ。
そして、君のお爺さんもアメリカの医師だった。」




とっても、実り多い6日間でした。
静かで、お互いそろそろとだけれど、歩み寄っていけるのが、幸せでした。
3が日が過ぎ、大学も始まるので変えることになった時、
大伯父は駅まで送ってくれました。


「4年前、君のお兄さんが来たときは、心臓が止まるかと思った。
君たちの両親が亡くなった時、妹はもういなくて、こっちには連絡がこなかった。
どうしているだろうと思っても、確認に行かなかった。
シカゴは遠いからね。

ちょうど、私も息子を亡くした時で、人間関係を絶ってしまった。
お兄さんに妹がいると言われて、離れて育ったこと、つらかったことを聞いた。
もっとちゃんと連絡を取ればよかったと、心底後悔した。」


そして、6日間一度も泣かなかったのに、出発間際に少しだけ涙ぐんで言いました。

「お兄さんがたまに来るようになってから、
この4年間、どれだけこの日が楽しみだったことか。

こんなに妹に似ている子に、また出会えるとは、思っていなかった。
40年近く、諦めていたのに。

本当にありがとう。
また、必ず、会いにおいで。」







私はずっと、家族はいないものだと思っていました。
知らないうちに、こぼれ出て行ってしまうものだと。

でも、日本に来たら兄に会えました。
そして、今年は大伯父に。


本当に嬉しかった。なのに、
ひねくれた私は人が死ぬことばかり想像してしまって素直に喜べなかった。

兄が死ぬことだって、怖くてたまらないのに、
大伯父は兄よりずっと早く死んじゃうかもしれない。

そう思うと、家族とするのに、すごく抵抗が生まれてしまって。
言葉も、過ごした一週間もかけがえのないくらい嬉しかったのに。


帰りの新幹線で、兄は笑って、
「ゆっくりなればいいんだよ。なれなかったら、なれなかったさ。
また帰国したら、一緒に行こうな」

と言ってくれました。



こっくり頷いて、私は大学生活に戻りました。

兄の渡米後、自分で決めて、はがきを月に一度、書いてみることにしました。
電話よりも、少しはやりやすいから。

彼はとても喜んでくれました。

いつか、素直に電話できるように、頑張ります。
もっと喜ばせたいと、心から思うから。



では。


こんばんは。
久しぶりの更新です。


先日、二十歳になりました。
プレゼントや言葉をたくさんもらいました。
大人になりました。社会的にだけだけれど。


日本の国から成人式の招待状と、年金のお知らせもきました。
同時に、国籍選択のパンフレットも。
選択の時は近いなあと感じます。


今年のクリスマスに、久しぶりに兄に会います。

今は、アメリカの大学院にいる兄。2年前、当時大学3年だった彼は、
たくさん悩んだ末に日本国籍を選択し、生地主義のアメリカの国籍を手放しました。

日本国籍の取得書類とアメリカのビザ発行書類を同時に用意している
謎な姿をみて、友人たちには不思議がられて、笑われていました。
研究も、やりたい仕事も、将来海外で暮らすかもしれない分野なのになんでわざわざ日本国籍と。
現に今兄は日本にはいないし、大学院のタームを終えた後も帰るかわからない。

「みんなどうしてどうしてって聞いてくるけど、答えづれーよなあ」と
悲しそうに笑っていた兄の声が最近現実的に響きます。



国籍を悩むと言うことは、外国人の少ないこの国では異端で、
友人やまわりの人のなにげない一言によくへこみます。
彼らに悪気がないのはよくわかっているから、ムカついたりはしませんが笑

お金の得する選び方をするのだろうとか、
どっちつかずで生きていけばいいんじゃないとかは適当すぎていいのですが、
好きな国を選べばいいじゃんという一言が一番多くて、一番へこみます笑

選ばない国の方が嫌いってわけでは決してないのに。
アメリカを選んだら、日本は二番目になるというわけでは、絶対にないのに。

当たり前のように笑って言われると、上手くそれが伝えられないのです。
わかってほしいなんて騒ぐほど、差は浅くないと分かってしまうから。



兄はアメリカより日本が好きだから、日本を選択したわけではありませんでした。
どちらも大好きで、大切な人がいました。

大学院はアメリカへいったけれど、国籍は日本にしたというと、
たいていの人が、やっぱり日本の方が好きだから心は日本人と
思って選択したのかなと言ったニュアンスのことを訳知り顔でいいます。

私は数回しか言われたことがないけれど、言われると、
日本はいい国だけれど、確かにアメリカはいい国とはあまり言えない国だけれど、
だからってそんな言い方することないのに、と泣きたくなります。


兄には私と違って両親とすごした記憶があり、
そのわずかな幸せな記憶は、すべて彼が幼少期をすごしたシカゴでのもの。

両親はアメリカの地に眠っているのに、小さい頃助けてくれた優しい人はアメリカにいるのに、
墓参りに行く時も、会いに行く時も必ず、空港で「ようこそお客様」と言われていかなきゃならない。

そんなに簡単に捨てられるものではなかったのに手放したのは、
「こっちの方がいいから」なんて簡単な理由からではないのに。



なんだか悪口っぽくなったので切ります笑




今度帰国したら一緒に行きたいところがあるのだと、しばらく前に言われていました。

再会した時から、成人したら言うと言われていたこと。
私の二親等以上の、存在したはずの家族のこと。


兄は21になったその週、大学を1週間サボって単身アメリカへ飛びました。
受け取りたかったものは州が保管していた遺産ではなく小さな貸し倉庫のコード。
当時教会の牧師だった人たちが17年間、兄が成人するまで、契約を更新し続けていてくれたものでした。

両親の遺したものをみて、なにを思い、決めたのか。
20年前のままの倉庫のその先に誰がいたのか。

やっと私は知ることになります。

でもまずは、帰国したら一緒にご飯を食べて、
この1年がんばっていたことを話したいです。



1月は同窓会だらけです。
成人式は着物代がないので行きませんが笑、
中学高校とホテルやレストランでいろいろあるみたいでたのしみです。

同窓会のはがきに○をつけることがこんなに楽しいなんて知りませんでした。
そのためにはまず稼がないと。

といっても、最近は翻訳のバイトの儲けがなんだかとっても良くて、
居酒屋の方は減らせるようになりました。
脳みそに感謝です。


最後に、兄の選択のことを書いて今日は終わります。




「どうして日本にしたの?」


「うーん、国と自分の望みのことを考えたんだ。
もし子どもができて、俺が死んで、lilyや俺のようになった時、なにが残せるか。
ずっと悩んでた。子どもの時一番悲しかったことはさせたくなかった。

で、思った。
親が死んでも、誰が死んでも、その子に帰る場所はあってほしい。

そばに誰もいない時、拠り所になるのが国や場所だから。
人は国から居場所をもらって、安全をもらって、人と繋がる。

命よりも、国の方が長生きだろう。
国があるだけで孤独を感じないこともある。

自分の子が一人で泣いているのを想像した時、
国が手を握ってくれるなら、今度は日本がいいと思ったんだ。


俺はアメリカに助けてもらったから。
シカゴで生まれた。それだけで、国は俺を守ってくれた。

父親が日本人だった。それだけで、日本は子どもを守ってくれる。
今度は日本にしようって思った。俺は日本が好きだから。

大好きな二つの国を、居場所を、両方伝えてあげることはできない。
それが決まりだから。

だったら一つの国が俺にしてくれた一番の優しさを、
もう一つの国から、もらえますように。

そう思ったんだ。」




傍からみれば、
アメリカに住みながら日本国籍をもってるヘンな人かもしれなくても、

書類を出した日、電話口で兄が静かに泣いていたことは今でも覚えてる。
忘れてほしいと言われた言葉は絶対に忘れない。



「親愛なる国へ。
どうかさよならを許してほしい。

嫌いになったわけじゃないんだ。一生忘れない。
でも、大人になった。選ばなきゃならない。

差し伸べてくれた手を、人を、忘れずに生きていく。

心から、愛している。」





こんばんは。
週末はハロウィンでしたね。
渋谷は大騒ぎだったらしいですが、私はバイト先をデコレーションして、
ランタンを家で一つ作った以外特に何もしませんでした(・▽・)

高校の友達2名と夏休み始まる前以来にあって、
久しぶりにおでかけしました。

帰ってきてしばらくは段審査の練習で道場に行くか、家でお勉強しているか、教会
学生団体の発表会の準備をしているか、またはバイトという
義務以外でかけないひきこもりライフを送っていました。
が、さすがにこのままはいかがなものかと。


学祭以外で遊んだのは久しぶりでした。
神奈川へ行き、友人のショッピングにしこたま付き合いました。

一人は美容専門学校の子なのでもうすぐ美容師になる予定。
認定試験や免許取得の勉強に追われています。
高校時代からゴムやピンで私の髪をわけのわからない髪型にしてくれていました。
がんばれ。




彼女と話していて思ったのですが、人間の趣味や好み、印象と言うのは
ゆっくりとかわっていくものなのだなあと実感しました。


たとえば印象。
その子と遊ぶと普段縁遠い美容系ショップ巡りをするので毎回とても新鮮です。

日本に来てから8年、友人知人に第一印象を聞くとなぜかほぼすべての人に
「おしゃれとかディズニーとか好きそうなイマドキな女の子」と言われてきました。

中学の先生には髪色が明るい(地毛)と小一時間怒られ、
高校の先生にはそれピアスか?とドン引きされ、それはまあ
「ちゃらい見た目」という印象をもらってきました笑


しかし、昨日店員さんにおすすめされたものを試していたら、
「お客様はとても落ち着いた印象ですから、」と言われたのです(゜▽゜)
つい、私落ち着いている印象ですか?とオウム返ししていました。

「ええ。とても素朴な大人の女性、といった感じですよ」


ほっほう。素朴!素朴なんて初めて言われた!!
ねえ素朴だって。今店員さん私のこと素朴って言ってたよ!

「んーlilyがコスメの話を興味なしって感じで聞き流してるからじゃない?」
「服が派手な顔に比べて地味だからだよ」

アレー友人の方がなんか当たり強い(゜▽゜)

確かに私は化粧品にほぼ興味がありません。
というか、あるのですがお気に入りもあるし、メイクに不満もないので
(お金もないので)、買う気がありません。

流行なんて追ってたらお金と気力がもちません笑
その日も店員さんと彼女たちが話す難解なコスメ用語
トークを全く理解できずハア?という顔をしていたら
「時代についてきて!!女子大生でしょう!!」とキレられました笑

別のお店ではメイク道具の話になり、新作がありますよといわれ
まだお気に入りのを使い終わってないからと言ったら
使用期限があるんですよと怒られる始末(ー▽ー)


そりゃあきれいなものは大好きです。きれいな服も大好きです。
アメリカと日本両方におしゃれ大好きな素敵な友人がいるおかげで
たくさんいいショップを教えてもらえて、
誕生日には必ずクリームやコスメをくれます。


けれど、それで一年事足りてしまうのです。
足りなくなったら、同じ種類のものを買い足すだけ。
彼女たちのセンスに私がかなうはずもないので、
どうしたって、リピートするのが一番なのです笑


半日買い物に費やして買ったものは、
友人たちは多種多様な化粧品で、
私は何年も前から好きなSABONのスクラブ一つでした(ー▽ー)



その後カフェに行ったのですが、素朴発言の話に。

「確かに、lilyはちょっと印象変わったかも。
前までもっといい意味でも悪い意味でも周りから突出してるかんじだったけど、
いまは風景にすんなりなじんでる感じ。」

むしろたまに消えそうな感あるよね、と謎なことも言われました笑
私は化粧道具も、使っているコスメも、高校時代からほぼ変わらないものです。
髪色も相変わらず茶色とクリーム色とこげ茶がまざった謎色。
それでも変わるって不思議だなあと思いました。



その後服のショッピングへ。
大学や中学の友人と遊ぶといつも思うのですが、私の高校の友達の
遊び方はちょっと変です笑 朝9時に集合、午前ショッピング、カフェ、
午後ショッピング、夜ごはんなのです。
いつも気合万端で行かなければ疲れてしまいます笑


そして趣味。
服を選んでいて印象とは逆にはっきり思ったのですが、
「私趣味変わったなー」と。

そんな大転換はしていないのですが笑
前までは暖色が好きでした。派手な色や蛍光色は元から嫌いですが、
赤とか、黄とか、緑とか、好きな色でした。

それがなぜか手に取る服がすべて暗色寒色になっているのです笑
いつのまにかグレーや黒、白が好きな人になっていました(ー▽ー)

友人たちには「服装が暗黒面に落ちてる!」とか
「なに?忍者とかSPとか目指してるの?目立ったらいけない稼業についてるの?」
とかさんざんに言われました笑

結局買ったのは、グレーのタートルと赤のニットでした。
赤は大学の友人にクローゼットの中をみせたら暗い!と言われたので、
反省を生かしました(ー▽ー)



その後ごはんへ。
議題は服の話へ。


中学高校と、私は365日制服で過ごしていました。
日曜日も教会へ行く時、よく制服を着ていました。
修学旅行では服がなくてお財布が火を噴きました笑

今はほぼ毎日ズボンなのでそれも高校の友人の言う「違い」
に影響を与えたのかもしれません。

ズボンの話ではでもう一つ。

「さっきから上ばっかりみてたけど、下は買わないの?」
下はあるから。
「ふーん?言ってみ?」

今はいてる黒いやつ、もういっこ黒いスキニー、
ジーパン、黒いチノパン、白いチノパン。スカート2個くらい。

「終わり?」

終わり(゜▽゜)

「1年中で!?」

いや夏はショーパンが2つある。
ワンピースも2,3個ある。

「つまり1年を通して12個!!!」
「バックパッカーか」


総すかんでした笑
ほかにもスーツとか、フォーマルとかはちゃんともってるよ・・・



「人生終わって断捨離の用意してるおばあちゃんみたい」
とありがたくない一言もいただきました笑

色の趣味はかわりましたが、
服のラインはいまも昔もぴったりしているのが好きです。
ぶかぶかしてたり、ばさばさだばだばしてるのがあまり好きじゃないのは
たぶん幼いころ誰かの寄付やお下がりばかりで、
自分の体形にきっちりあったものを着てなかったから。


友達とでかけて、自分で自分の好きな形を、色を買えてる。
とっても幸せだーとおもったのでした








あと2カ月足らずで20歳になります。
私の印象はこれからどんなふうに変わっていくのだろうと思います。

幼いころはとても刺々しい子どもでした。
友達相手にはだれにでも逆らって、ケンカして、怒って、泣いて。
そのくせ大人の前では無口な可愛くない子でした笑

日本に来てからは、周りとの生活環境のあまりの違いに悩みました。
だから無意識に人並みに明るくなろうと思って
ちゃらい女の子という第一印象を変えずにきました。

「素朴な大人の女性」。なんて私に似合わない言葉なのだろうと
帰ったあと一人でちょっと笑ってしまいました。


けれど棚をみたら、やわらかい形のいくつかの瓶と、
木箱に入った細いペンやパレット。1番のお気に入りの香水を薄めたボトル。
鏡をみると、薄い化粧をして、肩下まである髪に小さなピアスをつけている自分。


ああ、そうか。
そういわれると、変わったな。


割れる瓶、高い香水や石、ぴったりとした服、
そして、洗うのに時間のかかる長い髪。

ずいぶん遠かったものが日常になっている自分がいました。

「素朴な、大人の、女性か・・・」



19年自分と向き合っていても、化粧品コーナーの店員さんの方が
私を知っていることもあるんだなと思いました。

地味だけど綺麗に洗濯された服も、素敵なアクセサリも、大好きです。
私は女で、もうすぐ女の子から、女性になる。


ふとはっきりと、自覚したのでした。









11月になりました。
ますます気分は落ち込むばかりです。

それでも、課題も、やることも、満載です。
苦しい時は、目の前のことを頑張るに限ります。

では。
  
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